| ●8月の風月譚 『 戦後と58年後の今日 』 |
| 8月は葉月といい,季語の面からでは暦の上では立秋(8月8日)と処暑=暑さが落ち着く頃(8月23日)が あります。 8月は色々な事を考えさせます。 1999年に発行された「敗北を抱きしめて」(EMBRACING DEFEAT)という本は戦後直後の社会, 米国による占領政策、天皇を含む戦争責任,憲法の制定の経緯,東京裁判,さまざまな民主主義など 膨大な資料に基づき執筆されたジョン・ダワーという人の著作です。 55年近く経って世に明らかになった時代背景など興味のある文章がありましたが、今日の我々の状況と 58年前の日本の社会とかなりの類似点があるのではないかと思い抜き出してみようと思います。 戦後を現す代表的な言葉として,パンパン,ルンペン,カストリの3つがあります。 いずれもカタカナ文字ですがこの3つを十分理解する人はかなり少なくなってきた事と思います。 参考までに申しますとパンパンは今流に申しますと売春行為をする街の娼婦のことでもっと平たく言うと 携帯電話,出会い系サイトなど援助交際の名のもとでの売春/買春行為と考えてみるといいと思います。 社会の裏面から見ると進駐軍の性欲の捌け口としての必然性があったようですが 片方では当時「最も新しく民主的存在」は何かの問いに対し「パンパンの女たち」の回答があり、なぜならば 彼女達は人種的国際的偏見を超越していたからとの見解がありました。 パンパンの人たちの使った英語はなんとPANGLISHと呼ばれていたようです今日も70歳前後の厚化粧 の女性群に当時の“ニオイ”を感じさせる人がおりますでしょう占領軍はSCAPと呼ばれ、そこで使われて いた言葉はSCAPANESEと呼ばれていたようですなお、パンパンは市川房江さん等の積極的廃止運動 により昭和33年3月31日に名目上なくなりましたが、何分にも人類史上最も古い職業と言われるだけあって、 その後「赤線」「トルコ風呂」そして今日の「ソープランド」とその名を変えておりますが、連綿と春を売る商売は 続いております。 ルンペンは今流に言いますとホームレスのその日暮らしの人たちを意味したようです上野の地下道など 戦後4,5年後でもホームレスの人々の住処であったようですルンペンに関連した言葉として「闇市」が ありますが、旧軍閥の支配の「タガ」がゆるんだことを幸いにして大量の物資が「闇市」というマーケットに 流れたようです更に米軍の支給物資も同様に流れ「莫大」な富を得た人がいたようですどの時代にも 「利に聡い」人はいるものですね。 北海道には「ルンペンストーブ」と言う上から石炭をどんどん足す、今思うと非効率なものがありましたが、 どういうことでこの名がついたか定かではありませんが、友人の弁ですと“何も無いから”だそうです???・・・。 カストリは安いメチルアルコールなどの不純アルコールで爆弾などと言われていたようですが気の弱い人を 大胆にし気の強い人を狂暴にする飲み物といえば想像が出来ると思います。 当時の知識人が戦争に間接的に参加したことに対する悔恨と懺悔のなかでカストリを飲みながら葛藤して いる姿を多くの書物(坂口安吾など)の中に見る事ができ、デカダンスの背景を類推できます。 以上の3つの言葉は戦後の事で時代背景が全く異なりますがバブル崩壊後の今日と何か似たような現象が 散見するとは思いませんか? 若年者の売春行為、犯罪の低年齢化,地域を問わない凶暴な事件の多発、失業者の増加,自殺者の急増, 麻薬犯罪の蔓延など戦後の混沌とした社会と余り変わらないのではないでしょうか!! 更にいいますと当時も商工自営業者が行き詰まり自殺する人がいたようですが、今日ほど多くなく、やっと 自由になった事で未来に対し希望と夢があったのではないでしょうか!! そうすると今は戦後直後よりましではないことになりますね。 こんなに物質が豊富であるにもかかわらず精神的に荒廃してしまったことはなぜでしょう。 先ほどのパンパンが最も進歩的で民主的であったと答えた人が、「では最も保守的なものは」の問いかけに 対し「政治が現代における最も古くて変わり映えのしないもの」と答え、それは何故かというと政治は相変わ らず民衆の生活に意味のある係わりを持っていないからとの事です。 戦後58年の今日もこの言葉はそのまま通用しますし政治に携わる人々--特に役人は和合と上下関係の 維持と権益拡大に明け暮れておりますが、これは日本に役人と言う身分が出来て以来のもので、益々 堅牢になってきたのではないでしょうか(何故なら最も保守的だから) 戦後の記憶のなかで2,3申し加えますとNHKのラジオで午後2時くらいから『尋ね人』の時間があり 「旧満州の‐‐」が延々と続いたのを記憶しています。 この放送は28年か29年くらいまで続いたのではないでしょうか? 昭和31年、当時の経済企画庁が『もはや戦後では無い』と唱えましたが、本当に飢餓の恐怖から開放 されたのは昭和35年くらいだそうです。 では実際、戦後は何時までかと言いますと昭和天皇の崩御された昭和64年(1989年)と言う見方が ありますこの44年間を推進してきた人とは戦争と敗戦を体験した人々によるものでした。 その後、バブル崩壊の“空白の10年”と言われますが、戦後の遺産から脱却できず、“浪費ボケ”の平成の 中に新しい活力を生み出していない今日があるのでしょう。 最大の原因、それは「最も保守的なもの」が阻害していることは明白です。 私事ですが私の父親は28歳で出征しパプア・ニューギニアで戦死いたしました。 母親は24歳で未亡人となりました。 48歳のとき厚生省の戦没者慰霊団に参加し参加者を代表して「千鳥が淵」に寄稿したのですが 原稿で‐この戦争がいかに意味の無い無駄なものであったかと書きました所,意味の無い無駄が削除 されて発行されました。 私にとりましては,母親の生きている限りは未だ戦後なんです。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ このコラムに対するご意見・ご感想の宛先は ecos21@ecos21.com ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ |
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