トンカットアリの老舗「百寿庵」

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●2005年3月の風月譚 
『故郷 札幌 昭和30年頃


 私の故郷は札幌です。
生まれた所は京城(現ソウル)ですが,物心ついた頃から札幌がわが故郷であり、
今も札幌に対する思い入れは人並み以上のものがあります。
私の5代前の先達が、120年余前に山形から開拓者として札幌の円山に居着いた
との事で、昭和30年頃迄(私が小学校卒業迄)の故郷の事を書いてみようと思います。
流れ着いた場所?は右手に円山,左手に藻岩山の麓で丁度西からの強い風(山勢)の
受けないとても落ち着いた場所であります。
何故ここに落ち着いたのか祖父に聞いたことがあるのですが,土地としては今の石狩,
琴似(ことに)の方が良かったようですが、たまたまこの土地になったとの事でした。
12間毎に標識を付けて何処までも自分の土地とした結果,かなりの広さになったよう
です(数町歩)。
開墾した畑の真中に藻岩山から川が流れていたようで,掘り起こすと先住民であるアイヌの
人の使った石器,土器が沢山出てくるような場所でしたのでやはり住みやすい所であったの
でしょう。
更に、ここの井戸水は藻岩山の恵みというかとても美味しい水で年中枯れる事も無く特に、
採りたてのトマトを冷やし、真中から割ると白く粉をふいている新鮮な風味は(本当ですよ)、
もう二度と口にすることが出来ないなーと諦めております。
明治の始めには,ヒグマが藻岩山,円山にたくさん闊歩し今の定山渓の山奥と全く同じで
あったようです今では想像も出来ないのですが,原始林に覆われた未開の大地で巨木を
倒し、根を取り除き農地にするには、大変な苦労があったようです。
私が物心ついた頃は、もうすでに人口も30万人以上になってまいしたので住まいの近郊は
かなり開発されていたといえます。
近くには,今日男女の事では第一人者で、さらに腹上死が念願の渡辺淳一さんの家が
ありました(小学校,高校の先輩)。
昔は今より雪の量も多かったようで,畑を横断する人を落とし入れる穴を堀り、上手に隠して、
朝成果を見に行く楽しみがありました春先となりますと,津軽の雪のように粉雪が粗目雪
(ざらめゆき)となり日の光の暖かさを感じ始めると,畑の真中のちょっと坂になっている所に
天然の山葵(わさび)が採れるので,雪の中をそこまで取りに行くのですが、一足毎にずぶ
ずぶと雪に足を捕られながらの往復は,きつかった事として今も記憶の中にあります。
近くに双子山,温泉山とスキーには格好のスロープがありスキーを着けたまま家まで帰ること
が出来ましたが,今では双子山は全面住宅地となり、温泉山は市内を見下ろす公園と
なっております。
3月中旬になると、雪の中に見つける最初の花は福寿草で雪解けともに水仙,チュウーリップ
と続き,木花が色づく毎に本格的な春の到来を肌で感じることが出来ました。
春先には毎年といって良いほど藻岩山の融雪による川の氾濫がありましたし、夏には堰き
止めて泳いだりしたのですが、今その川自体がトンネルの中との事で往時を偲ぶものは
全くありません。
小学校の運動会は、円山の北側にある墓地の先の坂下公園で行われました運動会は,
遠足と同じく当時の最大の楽しみで、普段食べる事の出来ないバナナとか、ゆで卵に出会う
数少ない機会でした。
運動会好きな祖母が何時もお弁当をもって来てくれたことも楽しい思い出としてあります。
この坂下公園は戦後日本で始めて「世界スピードスケート選手権大会」なる国際競技が開催
された場所でもありました。
ソビエトのシルコフ,ゴンチャレンコ等が一流どころで日本には五味選手などがいたようですが
全く歯が立たなかったことが鮮明に覚えております。
夜の5時くらいから始まり,寒さ対策として祖父がウイスキーなる飲み物を持たせてくれ、初めて
アルコールを口にした記念すべき場所でもありましたまた帰路墓地の中を通って帰る怖さは
今も忘れることの出来ない思い出となっております。
坂下公園の単なる小さな広場が氷のリンクとなり、スタンドもない所であのような催しがあった
ことを、今では知る人も殆ど無くなり、思い起こすものも全くありませんが、ある友人にこの話した
ところ彼も覚えており、あの当時は学校単位で動員されたのではなかったかということでした。
当時、札幌の都市開発に関し書き残したいこととして、開拓の記念館として今日、中島公園に
ある豊平館(ほうへいかん)は,もともとは現在の時計台の近くにありました。
時計台と豊平館が一体になっている方が「明治」を髣髴させる遺産と言えるでしょうが、町の
中心地(北1条西1丁目)にあの空間を維持するのは困難であったのでしょう。
更に豊平(とよひら)地区は札幌市には含まれていなかったようです。
その理由は定山渓の温泉町が豊かさを町にもたらしていたので合体するメリットがなかったとの
事でした当時の娯楽はラジオでしたが,今も続くNHKの「昼の憩い」(PM12:15)のメロデーを
聞くと、半世紀前の何もなかった静かなそして平面的な、何か「まどろみ」に似た時間の澱みを
思い出します他では「白鳥の騎士」「紅孔雀」「台の塔」「笛吹童子」などは、数少ない子供の
娯楽番組でしたが、PM5:45分からの15分番組でなかったか記憶しております。
私の小学校時代は勉強宿題などに無縁な生活でしたが、農家に育った中で記憶に残ることと
して冬場の萱作り、春先から温床造りなど短い夏から収穫の秋にかけてものすごく働く姿を見て
まいりました収穫期に慌てて善後策など講じてもなんら意味がなく、日々の真面目な積み上げ
が良い成果を得ることが出来ることは、農業に限らず現在の仕事にも共通する成功の要諦だと
感じております都市計画などの区画整理により,50年前に私の育った家は解体されてしまい
ました夢を見るのはいつもあの旧い家と大きな庭先です大変大きな家でした12畳の部屋が
真中に4つもあり、縁側が南側と東側にありました。
庭には椴松,蝦夷松,楓の木の匂いそしてオンコ(松)の実を採るのに何時間も木に登っておりました。
その場所は、今は「ラルズ」というスーパーマーケットが店舗を構えておりますが,何時も故郷に
帰りますと藻岩山と円山を見上げます私の御先祖もきっと何時もこの山懐に抱かれてじっと
耐えて過ごしてきたのだろうなーと感慨に耽る一瞬が御先祖様と私が無言で交わす至福の
時間でもあります故郷は未だ大きな存在でありますが、これも母親の存在が大きく反映して
おりますあたかも母親は故郷と私の思い出を結びつける架橋のようなもので,母親の存在
がなくなった際の故郷は、糸の切れた凧のように遠い彼方に行ってしまうのではないか‐と気に
なります他方、新たに子供たちに新しい故郷を残す時代へと移行しつつある今日この頃では
ないかと思い、今回故郷札幌に触れてみました。



尚,野幌の開拓記念館に山形からの旅日記が展示されておりますので機会がありましたら立ち
寄ってご覧下さい。

P/S:花粉が飛散する時期となりましたが、マスクを鼻から下の口だけにしている人をみかけ
    ますが「頭隠して尻隠さず」同様効き目は全くないとの事ですが,余計なお節介ですかね!!
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●2005年1月の風月譚 
酉年にあたって

2004年
12月 平成16年を振り返って
11月 書物は知識の源泉
10月 故 野中 孝一さんと「SPIN トレーニング」
9月 ハインリッヒの法則(1:29:300)とパン屋の経営
8月 私のPROJECT-X 甲子園への道(PART2)
7月 私のPROJECT-X 甲子園への道(PART1)
6月 6月10日は時の記念日
5月 FENWAY PARKの思い出
4月 お釈迦様と四聖諦八正道
3月 『起業5年目にあたって‐‐新たに知った事・新たな財
2月
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1月 『暴君の初夢』 

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10月 GOLD FINGER 荒木 敏明 君 』
9月 9月11日とイスラムの人々 』
8月 戦後と58年後の今日 』
7月 『三色旗ー自由,平等,博愛 』
6月 『JUNE BRIDE (6月の花嫁)
5月 『とつき十日の下宿屋の宿賃』

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