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●7月の風月譚 
私のPROJECT―X 甲子園への道(PART1)』


    私のPROJECT-X 甲子園への道(PART1)

 今年も6月下旬の沖縄の地区大会を皮切りとして、全国各地で甲子園を目指した熱戦が始まり
ました甲子園は高校球児にとりまして晴れの舞台でありその道のりは並大抵の努力・幸運
だけで夢が実現するものではありません予選出場選手総数から甲子園にベンチ入りする
18人の確率は、0.6%〜0.7%で今も1%を下まわるものと考えられますので如何に難しいこと
か分ります。
毎年この時期になりますと阿久 悠さんが「甲子園青春賛歌」が紙面を飾るのを目にするとき,
青春という言葉の持つ可能性,一途な気持ち,犠牲を厭わない勇気に感興を覚え胸が熱くなる
ことは、今も昔も変わらない事といえましょう。

私事ですが高校入学(札幌南高校)の1年の時、部員が少なくて公式戦参加が成り立たない
怖れがある事態に遇い、何となく秋の新人戦に出る機会を得ました。
レフトの守備において技術においても並以下でありましたので不安が先に立ちましたが、不運
にも初回の満塁のピンチにレフト前のヒットをトンネルして4点を献上し,その後2回の攻撃に
1アウト2.3塁に打席が回り会心の当たりが2塁ランナーの足に当たるという椿事に遇い気が
ついたら7回10対0でコールド負けて仕舞いました。
個人的には2本のヒットを打てた事で満足でしたが、その後何となく退部をしましたので公式戦
は1試合のみとなりましたこの途中で止めたこと、青春の素晴らしさを自ら放棄したことが、
今日まで私の人生の後悔のもととなりました。
(尚、現在の母校の部員数は60人前後と聞き耳を疑いました)
2年,3年別にたいした勉強もせずに漫然と過ごしたわけですが,いつも甲子園の入場式,
決勝戦は観てこの様な舞台に立つ人は一体どんな人なのだろう全く異次元の世界に生きて
いるようで自分にとって無縁の存在と感じました。
何時の日か、男の子を持ち甲子園に出してこの感動を分かち合うことが出来たら何て素晴
らしいことだろうと30年後位のぼんやりとした夢が広がりました。
たまたまなのですが前巨人軍の原監督のお父さんが東海大相模の監督として親子鷹で
甲子園に大旋風を起こし(準優勝)た原貢監督と、作新学園の怪物江川を破った銚子商業の
斎藤監督(優勝)との対談を週刊誌で見かけました。
お二人の強調しておりましたのは,子供の能力はほとんど母親から引き継いでいるので,
野球をやりたいという子がいると母親を見るとどの程度の者になるかが分かるといっており
ました。
そうか,嫁さんは先ず足が速くないと駄目なのだ、そして丈夫でなければ甲子園は夢のまた
夢に終わってしまうのだということを改めて肝に銘じ、嫁さん選びに心しなければいけない、
この件に妥協したら甲子園は遠のくばかりだと改めて自分に言い聞かせました。
26歳のとき,若くて元気な女性に出会い開口一番「あんたは足が早いか?」と聞いた所「高校
までリレーの選手だった」とのこと、そして「弟たちの体は大きいか」尋ねたら「皆私より大きい」
との事で「これだ」と一方的に決めて本当に嫁さんにしてしまいました。
所が中々子供が出来ないんですね。
当時、博多におりましたのですが,九大の医学部に行き検査をしてもらいましたら精子の数が
100分の1しかないから子供の出来る可能性はほとんどないといわれました。
えェ!!一体甲子園はどうなってしまうんだ・・・
ある時,博多から小倉に行く際に「九スポ」なるプロレス,裸,ギャンブルなど満載の新聞の
中に「日本の袴文化」なる記事が目に入りました。
日本は高温多湿なので寝殿造りは生活の知恵として生まれこの思想を衣服に反映させたの
が「袴」であるとの事でした寝殿造りの要点は清流を間断無く流すことのようで、これは
男性自身を熱から守る、風通しを良くすることが生殖機能を維持する上で大切な事と共通点
があります具体的にはJパンやブリーフのパンツは止めて,風通しの良いデカパン(トランクス)
にする事と、古来から言われる様に「金冷法」を励行することが大切と書いてありました。
このことはたいした難題でもありませんので、すぐに実行に移すことにしました。
この事を実行に移して結婚4年半にして男児に恵まれました。
運動神経の方は一体どおかなーと言う気持ちがありましたが男の子供が生まれただけで、
先ず第一関門は突破が出来たという満足感で一杯でした。
次に,野球選手は圧倒的に左利きが有利ですのでこの子は「左利き」にするにはどうしたら
良いかと考え、出来るだけ心臓側の乳房で母乳を与えるように母親に言い聞かせました。
希望どおり左利きが明らかになり期待した通り元気でいつも走り回るような子でしたので
交通事故などに遇わないように心掛けてもらいました。
不思議なことに17ヶ月後に次男が生まれることとなりましたので二人の子供の世話は本当に
大変だったと思いますし、その当時の私は家に早く帰らない嫁さん任せの悪親父でした。
ただ長男を野球少年にする関心は高くその当時ベストセラーになった「青春の門」のなかで
信介に対するようにボールを半分色塗りして今で言う動態視力を鍛えることがありましたので
4歳くらいから右手の甲で打つ事を遊びの中に取り入れボールを良く観る訓練をしました。
小学校入学前に小平市に転居したのですが,家から5分くらいの所に中央公園があり運動
するには最適の環境を得ることが出来ました。

=以下8月号=
P/S:子供さん出生率は2.0以上でないと日本人の人口は減るばかりで何時の日か縄文人
     のようになり兼ねませんので、先ずパンツを替えてみては如何でしょうか・・・
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