| 「百寿者(ひゃくじゅしゃ)になろう」抜粋集 |
| ■ (5)人は死ぬ所に向かって生きている |
| 作家・田辺聖子さんは、漠然と何か人間の知識や存在を上まわる超越者、 すなわち大阪弁で「神サン」を感じているそうです(『性分でんねん』筑摩書房)。 神サンがこの世に私たちを招いてくれた、と。 命は神サンからの借りもの、つまりレンタルビデオを一泊二日で見せて もらっているようなもの、見てしまったら返さないといけないのだ。 「まだ終わっていない」といい逃れて二回見ようとしてはいけない。 「ハイ。そこまで」といわれたところで、返さねばしかたない。しかし、 まだ返したことはないから、レンタルビデオを返すときになれば、どうなるか 自分でもわからない。じたばた、するかもしれない。しかし一応は、神サン から借りたものは、期日がきたら返さないといけない、と来世を信じている 田辺さんは述べています。さらに、池波正太郎氏は、男 (もちろん、女でも同じです:筆者注)が何で自分をみがくかの基本は、 「人間は死ぬ・・・・」という、この簡単な事実をできるだけ若いころ から意識することにある、と述べています(『男の作法』ごま書房)。 「いつまで生きていられるか・・」をまず考えないとね。そこから始まる んだよ、根本は。そうなってくると、自分のまわりのすべてのものが、 自分をみがくための「みがき砂」だということがわかる。人間というのは、 新鮮なトマトを食べただけで、「ああ、うまい・・・」と、言うでしょう。 それでもって、そのときは他のこと(死ぬことも:筆者注)は頭から 消えている。忘れるように出来ているんです。人間の体というのは、 それでなかったら、神経衰弱になっちゃって、みんな死んじゃいますよ。 「自分は、死ぬところに向かって生きているんだ・・・」と、ふっと思えば いいんだ。漠然と考えるだけでいい。それだけで違ってくるんだ。 |